話題になっている 稲田豊史 映画を早送りで観る人たち を読みました。
プラモデルという「娯楽」(趣味ではない)を「消費」し幅広く楽しんでもらうための補助線を提示してもらいました。
模型製作という「趣味」ではなく、タイパ(タイムパフォーマンス)の良い「娯楽」であると紹介できないか?と考えています。もちろん、消費の先に「模型趣味」を持ってもらえれば最も嬉しいと付け加えておきます
以前松井広志さんと対談した時に、現代のゲームなどの話にもなったのですが、その話にも通じる部分がありました。
本の存在を知ったのは岡田斗司夫さんのYouTubeで紹介されていたからです。
プラモデル製作でもジェネレーションギャップを感じることが多く、このギャップの考察の一助になるかとも思いました。
私事ではありますが、昨年の5月くらいから社会評論系は一切拒絶して読まなくなっていたのですが、今回は興味が沸いて読んでみました。
この本ではミレニアム(ミレニアル)世代(1980年~1995年生まれ)とZ世代(1996年~2015年生まれ)を区別しています。私なんかミレニアム世代世代より上ですけど(笑)
Twitterで先輩オタクが「にわかを馬鹿にする詰める」という事を見て、Z世代はオタクというスペシャリストへの憧れを持ちつつも、「詳しい」という意味の「オタク」ではなく、「詳しくはないけれど好き」という「推し」という言葉で自分の立ち位置を表現しているようです。
この本の中で、「鑑賞」と「消費」は明確に分けれられています。いわゆる「芸術」が「鑑賞」で、他の人と話題を共有するために見るものが「消費」です。
そして、消費すべきコンテンツが世の中にあふれている現代に生き、時間もお金も不足しているZ世代は「消費」ならコスパやタイパのよい早送り視聴を行う事が頻発するわけです。逆に鑑賞なら早送りなどはしないという事です。
現代のプラモデル業界はコスパを求めつつも、基本的な考えが
「研鑽すべきもの」で「徐々に上手くなるもの」で「覚悟を決めてやるもの」
になっている気がします。だからこそコスパ良く「簡単にうまくなる」とか「ハウツー記事」が人気になるわけです。
でも時をさかのぼり1970年代から1980年代前半には、若い世代ではプラモデルは明らかに「消費」の対象であったと思います
ニチモの30センチシリーズを買ってきて、「手」と「歯」と付属接着剤と「マーガリン」で一日で組み立てて、その日のうちに沈没
というのはごくごく普通でした。そういう人たちのなかからプラモデルを愛好する人たちが出てきてコアユーザーになっていったわけです。
毎日わずか10分の作業で注目を集めるようなプラモデルの作り方というのは可能な気がしますし、結構コスパの良い「推し」であるような気がします。
「ミレニアム世代の方は違うかもしれない」とお断りした上で、
そもそもの目的を変更して「完成」ではなく「体験」と変更してはどうでしょうか?
プラモデルの中で好きな部分だけ作るとか、作り捨てるというのもごくごく普通にありました。私の知っている方で、大和の主砲ばかり何十個もつくるという猛者もいましたね。それでいいと思うんです。
つまり、プラモデルにおいて全てのパーツを取り付けた状態が「完成」というわけでもなく、好きな部分だけを作るだけでも十分楽しいのです。
それに、これもミレニアム世代は違うかもしれないとお断りした上で
プラモデルは作っている体験そのものが楽しいので、失敗という概念がそもそも希薄
だと思うんですよね。
私の世代は娯楽でカラオケに行って音程外したからといって「失敗」とは思わないのと同じです。完成した「モノ」ではなく製作した「コト」が楽しいのです。いつの間にか完成した「モノ」ばかり注目していますが、本来「コト」だと思うんです。
そして、この本で触れられていたのですが、「未体験」に価値を求めるのではなく、「追体験」に価値を求める意味からも、基本的にパーツを組み合わせていくプラモデルは優れた製品であると思います。
なので、安価で、細切り時間でも作りやすく、追体験しても楽しいプラモデルを原則一日10分限定の製作で紹介して「プラモデル推し」の人が増えたらうれしいなと思っています。